解説GNN
GNN教が生まれたのは、1967年のことである。
当時学園紛争華やかなりし頃で、大学のキャンパスは荒れていた。人々の心は革命と保守の間に挟まれて揺れ動いていた。多くの人はどちらにも組みすることができずに悩んでいた。そこに偉大な教祖が現れたのである。彼は「世の中は革新でも保守でもない、義理・人情・浪花節 である」と人生の真理を説いたのである。その時、弟子の中から声が上がり「先生、それはGNNですね」と言った者がいた。教祖はにっこり微笑んで「そうだ、よくわかったね、それが悟りの境地なんだよ」と言った。この時、GNN教が生まれたのである。ちなみに、GNNという言葉を最初に使ったこの者は山内 信という高弟であった。

GNN教では、教祖自身が神である。また、GNN教の信者であるあなたも神である。すなわち、GNN教は神様の集まり なのである。しかし、この神様は、極めてだらしがなく、気が弱くてだめな神様なのである。GNN教の教えの根本は実にここに基礎をおいている。すなわち、この世の人間は皆無理をしてミエをはっているが、一皮むけば天才でも天使でも英雄でもない 弱い人間 なのである、という認識から出発している。

だから、無理をするのはやめにして、みんな弱い人間なのだということを認めることから人間関係を作っていこうというものである。したがって、天才と天使と英雄はGNN教の信者になる資格がなく、GNN教の信者の間では「強がり」と「知ったかぶり」は最もさげすまれるれる行為である。ここで注意すべきことは、他の宗教でも「人間は弱いもの」ということを説いているが、GNN教では「神も弱いもの」であると教えている点が違うのである。

我々は教育課程を通して多くのことを学ぶ。努力をすれば誰でも成長するということ、したがって成長の度合いの差は努力の度合いの差であると思い込まされてしまう。しかし、人間には生まれつきの才能の差があるのである。しかも、この世の中は常に相対評価なのである。つまり、差が出るような仕組みになっているのである。それを、努力、努力と叱咤激励するのである。その結果は計り知れない多くの人間の心と体を傷つけてきたのである。これは愚かなことである。

さらに、我々は教育課程を通して理論的思考を過度に重要視するように教えられるのである。ところが、価値の多様性については何も教えられないのである。そのために「特定の集団に都合のよい価値について理論的に」考えるように強制され、しかも、そのことに気付かないのである。それどころか、多くの“いわゆるエリート”達は、科学的所産を活用し、この世の中を構造化すれば、この世は我が意のままになると思ってしまう。これも愚かなことである。

このような理論的思考の過度の強調は、ともすれば、弱い人間としての我々の存在を圧してやろうとする。その結果、我々は人間関係を単純な理論で割り切った方が、進歩した生き方であると思い込むようになる。500万年間かかってできた人間の脳が、わずか100年あまりの教育制度から生まれた“へ理屈”によって、思い通りになるものではないのである。

CAUTION!!
GNNとは、川瀬武志が長い教員生活の中で得たものを、より多くの人達に知ってもらおうとする過程の中でできあがったものです。
そのため教義という形を取っていますが、宗教ではありません。また、他の宗教団体とも一切関係ありません。
もちろん、株式会社GNNも、研究室自体も宗教団体ではありません。