第二話「日本の危機は共産主義の崩壊が原因」
共産主義の崩壊がもう少し伸びていたら、日本経済の状況は今のようなひどいことになっていなかったのではないか、というのが私の意見です。もちろん、これは極めて一面的な、川瀬的な偏った見方ではありますが。共産主義が崩壊していなかったら、あるいはもっと正確には共産主義が崩壊する以前には、何が起こっていたでしょうか?

対立する二大勢力は多くの軍事費を投入し、神経を対立する相手にとがらせていました。世界は南と北(あるいは東と西)に分断されその間を高い壁がさえぎっていました。軍事費がGNPの1%前後の日本国は平和憲法を盾にとって、両陣営の間で漁夫の利を得ていました。それでも両陣営は日本の再軍備を恐れ、それを容認していました。両陣営を隔てる壁の存在は、密入国者の流入はおろか低賃金国への産業の移動も不可能にしていました。壁を守るのはむしろ北の方だったからでした。

日本の経済を守った根本的経済原理は「土地兌換性」という、他に例をみない仕組みでした。土地は輸入できないということを盾にとって、地価は永遠に上がり続けるという大前提を打ち立てました。実際あの気狂い地味たバブル時期を除けば、地価は徐々に上がり続けていることは確かです。おそらくこれは、人口が著しく減るまで続くように思われます。しかも、この考えはある時期大変日本経済に貢献したのです。

戦後(この言葉も色あせてきましたが)経済力のひ弱な日本の企業が、銀行からお金を借りたくても担保がありませんでした。とにかく何をやっても売上が右肩上がりに推移することは保証されていました。日本の産業力と低賃金を武器にすればゆくところ敵なしでした。そのような場合、お金を貸すリスクは(マクロ的には)ゼロでした。そこで誰かが思いついたのが「土地兌換性」という考えでした。土地の値段を高く評価さえすればお金を貸すことができました。その結果土地の値段がどんどん上がっても文句をいう人はいませんでした。

このことを良いことにして、日本は江戸幕府以来の第二の鎖国状態をつくりました。「日本的」という言葉を旗印にして、独特のローカル・ルールを沢山作ってゲームをしていました。優秀な(と思われた)官僚がゲームのルールを作り、そして審判も兼ねておりました。日本的経営のやり方はこのルールの範囲内では極めてうまくいっているように見えました。アメリカは自分の経済がうまくゆかないのはこの不平等なルールのためだと何度となくいろいろな方法で圧力をかけてきました。その度に、日本は「それはアメリカの経営努力が足らないからだと」いいながら鎖国の壁の陰に身を隠してしまいした。

賢明な読者の皆さまはもう分かりでしょう、この話の結末を

共産主義が崩壊して、両大国の対立がなくなりました。日本はそれを喜びました。日本では、ありあまる金の使いみちがなく、決して値打ちの下がるはずのない土地ゲームが始まりました。まじめに働いていた製造業の経営者までがマネー・ゲームや土地ゲームに狂いました。ブラック・マンデーで相当な損をしても、「その内何とかなるだろう」と気にもかけない人が沢山いました。

共産主義の崩壊は、南北の人と物資とお金の自由な交流を意味していました。このことは初めのうちは極めて目立たない形で進行しました。さらに、軍備費の縮小が除々に実現してきました。日本の相対的有利さは除々に減って行きつつありました。アメリカはこの時期に、円高という最後の武器を極めて有効なタイミングで使ってきました。多くの企業が開発途上国に投資をし、不法入国者が増えてきました。

アメリカは共産主義の脅威がない以上、後は、独自のルールの中に立てこもって言うことを聞かない日本に対して、グローバル号と呼ばれる黒船に、グローバル・ルールと呼ばれる大砲の弾を撃たせることにしました。長い間の鎖国によって欲ボケしてしまった日本は、これによって息の根を止められたという訳です。  交通手段と通信手段が飛躍的に進歩し普及したことも土地の値段の固有性を打ち砕きました。土地が高ければよそに行けばよい訳です。共産主義の脅威が薄れてしまえば、どこでも仕事ができるのです。早い時期からそのことに目覚めていたソニーやホンダには土地兌換性は関係ありませんでした。

この話は、ばかな考え(おかしいと思ったこと)はいずれ破たんするというよい例です。そうです、日本はもっと共産主義体制が続くように援助すべきだったのです。

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