IE活動におけるラインとスタッフの協力関係の研究(1)
1.はじめに
1950年代初頭にアメリカ内務省の援助によって派遣された講師団によるlEセミナーが継続的に、日本各地で開かれ、数多くの参加者がこの目新しい方法論に興味を持って学んだことを端著として、わが国のlE導入が始まった。もちろん、早大とミシガン大学の提携、フルブライト留学生など個人レベルの勉強や、戦前にまでさかのぽるlEの勉学や導入も存在するが、大量の知識の流入、多数の実務者の勉強は、この時が始まりであると見ることができる。

それ以来、我が国ではアメリカ産業発展の原動力としてのlEに対する関心が高まり、積極的にlEを取り入れる企業が相次いだ。しかし、円安や労働力の過剰は本格的なlEの必要性に至らず、一部技術担当の役員とその部下の間での関心事であった。したがって、当然のこととしてlEが経営トップ層の関心を引くことは例外的であった。むしろ当時は、輸出品の品質向上のニーズを動機づけとして、QCの必要性の方が高かった。その上、デミング賞受賞の経営的効果は経営者にとって魅力的なものであった。その後、日本のTQCとQCサークルは海外に輸出されるまでに至った。

1970年代になってはじめて、労働力の不足がはじまり、いわゆるニクソンショックと呼ばれる円高(当時一時的ではあるが360円から一挙に170円になった)および石油ショックを経験するに至つて、lEに対するニーズが高まり始めた。それ以来今日に至るまで、わが国産業界におけるIEの貢献は目覚ましいものがあったことは読者のご承知のところである。特にトヨタおよびトヨタグループの地道で創造的な手法の開発や適用は、世界的なレベルでの貢献をしてきた。lEの世界でもトヨタ・システムは輸出製品となった。

しかし、それでもIEがどの企業のどの部門においても極限まで適用され、充分な成果を上げているかといえば、何故かそれが一部の産業の一部の分野に限定されている野が実情である。政府の保護を求めて自助努力をしなかった多くの企業を初めとして、生産性向上は工場の仕事だと思ってしまったり、間接業務や販売や開発などの知的業務にはlEが適用できないと決めつけたりしていた人々が、グローバル何とやらに簡単に追いつめられて、リストラという言葉におびえているのを見るのは何とも哀れである。これらの企業の窮状はlE適用を怠ったことだけが原因ではないが、多くの倒産したり買収された企業では生産性向上努力を極限までしてこなかったことがその一因であることは確かである。

このように、lEが思ったように普及しないことに対していらだちを感じているのは私だけではないはずである。このことの最大の原因は経営者の勉強不足にあると思つているが、IEそのものにも何らかの原因があると思われる。lEが手法の集合体であるという認識があり、lEそのものが組織的にシステマティツクに導入され、改善が計画的でシステマチィックに実現されるための戦略およびノウハウの研究がこれまでに欠けていた。このことを私は「lE on IE」と呼びlE活動そのものにlEを適用すべきであると主張してきた。

IE on IEの考えでは、lEを単に手法の集合体としてだけ見るのではなく、lEの究極的な目標である生産性向上をシステマティックにおこなうための方法論としてもとらえようとするものである。そのためには、lE活動を戦略的にとらえ、組織論的に見なければならない。私の理解する限りでは、これまでにこのような努力はされてこなかった。この問題の範囲は非常に大きなものなので、本論文で、その一部をとりあげることにする。私は本論文で、lE活動をラインとスタッフのかかわり方(モード)の改善という観点からひとつの考え方の体系を提案し、その観点からの日本の実態を調査結果の形で示す。

2.提案する仕組みの理論的位置づけ
その昔、モダンlEというセミナーで多くの日本人がお世話になった、ロバートN.レーラーはその著書の中で、改善をマネジすること(Management Of Improvement)、すなわち、マネジメントの重要な責任として改善というものを意識的に計画的に取り上げるべきこと、を主張している。そして、そのことの重要性を表現するための一方法として、以下に説明する簡単な方程式(数学的なものではないとことわって)を提案している。

PE=【L&W(I)G+SMT】PP×(FF+SS+T)

PE Performance Excellence
L&W(I)G Lofty and Worthy(Ideal)Goals
SMT Systematic Muddling Through
PP People Power
FF Forcing Functions
SS Supportive Structures
T Technology

PE: Performanceという言葉には、結果という意味も含まれているが、レーラーはこの言葉を行動的な意味で使っている。改善の成果は経営的な数字からのみから読み取るものではない、と言う考えがこめられている。最終結果を追求する前に、行動過程を追求しようというのである。これは、改善を重ねてゆけば結果は必ずついてくるという信念からでている。そして、改善活動の究極の目標は、各自が仕事の上でのPerformance Excellenceを追求すべきであるというのである。単に訳せば、「卓越した成果」の達成とでもいうものであるが、工クセレンスという言葉の中には美的な意味も含まれており、優雅さという要素が含まれている。

L&W(I)G: Loftyはちょっと手が届かないようなとでもいった感じで、十分な達成感をともなうような高さの目標が必要であることを意味している。目標の高さは目標をもつ者の主観によるもので、絶対的なものではない。皆の目が輝くような理想を打ち立てるのはマネジメントの仕事であり、重要な責任である。この大事な仕事を部下にさせる無能な経営者が今もって存在することは残念である。

SMT: この表現にはいかにもレーラーらしいところがある。システマティックなやり方だけではlEが直面する問題は解けないことを認めている。Muddling Throughという表現は、混乱状態をなんとか切り抜けることを意味する。とにかく、解決策を見付けだし、それをやってみよう、一歩一歩理想に近づけようという考えである。ここには、ワンショットで問題解決を片づけるのではなく、オンゴーイングで問題解決をし続けようという考えが込められている。

PP: 従業員個々人に権限を与えてやってもらおうという考えの現れがこれである。この項はべき乗の効果を持つことを意味している。単純にいってPeople Powerを参加者の人数にとれば、人数分だけこの項をかけ合わせることを意味する。当然、スタッフが主導権を握って、改善を独り占めにしたのではこの項の値は小さくなり、この公式の重大な意味が失われてしまう。

FF: 改善活動はやはり強制しなければならないことを意味している。改善の実行を確実なものにする、しかも、要求されるスピードで実現する機能である。ここでも、マネジメントの強力な指導力が要求される。ただし、人事権や叱咤激励だけでの強制ではFFとはいえない。それではエクセレントではない。特に全員参加の場合では、現実的で公平な評価の仕組みが必要である。

SS: これは改善する人々を時間的に、情報的に、知的に、金銭的に、道具的に、心理的に、援助する仕組みの存在を意味する。全員参加の改善活動をするためには、この構造がしっかりとできていなければならない。ここにlEが活躍する場がある。技術力を高めそれを普及するという役割のほかに、スタッフとラインの協力形態に理論的裏付けをすることが重要である。この理論を基に、時間の経過と共に変化する形態に応じて佗の活動内容も変えなければいけない。本論文の中心的課題として取り上げようとするテーマはこの点に位置づけられる。

T: 技術がこの式の中で、FF+SS+Tという形で取り上げられている点を強調したい。正に私のいわんとする点もここにある。多くの場合、問題解決がうまくいかないと人々は「よい方法が(簡単に)見つからない」という理由を上げてくる。この考えの根本は、問題解決とは単によい方法を見つけることとなってしまう。それでは人まねを奨励しているようなものである。私の経験からいえば、方法などは目標が明確で解決意欲さえあればどうにでもなる。正にMuddling Throughしてゆけばよいし、勉強すればよいし、ORのようにエレガントな解き方ができなくても、時間をかけて試せばよい。最後の最後は最高のエキスパートを雇ってきてもよい。当然、Tには技術力という意味もある。トヨタのように自主技術を開発することが理想であるが、最終的に優れた技術でも、地道な成果の積み重ねの結果であって、一夜にしてできあがるようなものではない。個々の改善活動で、Tの項をあまり過大に評価しない方がよい。

3.IEスタッフとラインの協力関係形態
上記Supportive Structuresの中心的課題が、IEスタッフとラインとの関係の成長過程と個々の成長段階に適切な環境条件の確保にあると考えられる。IE導入初期の理論によればlE活動の成果はlEスタッフによってもたらされる提案をラインが受け入れ実行することによって達成されるという構図になっていた。その後時間がたつにつれて、典型的なIE手法はそれほど高度な数学的素養がなくても理解できるために、一般の従業員にも普及された。このことはWork Simplification Programという名でかなり早い時期からアメリカにおいて提案されてきたが、この考えがラインとスツタフの組織的地位、責任、権限、運営上のルールにまで立ち入らなかったために、それ以上の進化を見なかった。しかし、我が国においては従業員の定着性のよさと知的レベルの高さから、改善活動がラインの日常業務の責任範囲まで入り込んできている。

改善活動へのラインの自主的参加レベルは企業によって異なり、同じ企業の中でも、管理者個人のポリシーによっても違いが起こる。一般に受け入れられているパターンもなく、それらの類型に対する名称もない。すなわちこのことに関しては、はつきりとした組織論的研究が見当たらない。根本忠明と私は1970年代から、OR、QC、IE、SEに関するラインとスタッフの協力形態に関心をもって研究してきた。その過程でlE活動に関して判明した典型的なパターンは以下のようなものであった。

革新導入型: lEが正式に組織の中に導入されていない段階において、組織の中の一部の人間(多くの場合トップ・マネジメント、以下パトロンと呼ぶ)によつてlEが取り入れられるケ−スである。多くは技術担当の役員が自部門の部下(以下lEグループと呼ぶ)に勉強をさせたり、関連学科の卒業生を雇ったりして、小規模なlE活動が始まる。手法中心的な事例が生まれる。初期の段階では、海外視察やセミナーや新聞雑誌からその存在を知ったトップマジメントがイニシアティブをとった。QCの導入が完了した(例えばデミング賞を受賞した)直後にlEの導入が始まることが一般的であった。

社内のlEグループに対する評価は、経営的なニ一ズに合致した問題を取り上げるのか、手法の演習のような問題を取り上げるのかによってまちまちである。初期の段階では、標準時間の設定とそれを用いての作業管理が最もポピュラーな出発点であった。初めのうち、ライン部門は傍観している場合が多く、lEスタッフを歓迎してはいない。改善案の実施は、パトロンの威光を利用したlEグループによって強制されたものであることが多い。この段階では、その技術が新しいものであるために、その価値を客観的に評価できる人が組織内にいないことが多く、lEグループはパトロンの力に頼るしかない。IEグループがする提案に対するラインの判断はもっぱら、それを推進する人間の信用度および人気に依存することになる。ラインがスタッフに協力するかどうかは、提案内容の実施結果から予想される利害関係と組織内の力関係に依存する。この段階では、lEグループは組織人(会社のことを熟知していて、人脈もあり会社のために尽くすタイプの人)ではないので、人間関係や組織のしきたりや成り行きに無関心であることが多い。仮にIEの技術が有効なものであっても、スタッフが人間関係に失敗すると革新的技術の導入が停滞したり、スタッフそのものが失脚したりする。この失脚のインパクトが大きい場合は、パトロンもスタッフと運命をともにすることになる。

スタッフ主導型: lEグループの改善が組織的に認知されてくると、それなりの組織的地位を与えられる。それはlEというの名称を冠した係であったり、QC部門の1グープであったりする。生産技術部門に標準時間や標準作業を設定する担当者として認知されるケースが多い。専門集団としての活動はスタッフがリーダーシップをとる形で行われる。ラインには必要な局面(データ収集、試行など)においてのみ改善活動に協力することが要求される。スタッフは問題発見から改善案の作成まで責任を持ち、ラインはその改善案の採用権限を持つが、時には一方的に採用責任を負わされることもある。しかし、両者の実質的な責任権限の区分は明確ではなく、管理職の好みに左右されることが多い。環境変化と共にlEに対するニーズも増加してきて取り組むテーマの範囲も広がって来る。関連学科の卒業生の数も増えてくる。

建前ではスタッフには権限がないことになっているが、実際はそうでもない。させる人、させられる人の分離が起こってしまう。売り込み、説得という余分な仕事ができ、両者の間のあつれきも大きくなる。ラインが主導的にならず、受け身で、言われたことしかやらなくなる。日常業務が後追いになるので、ラインは「忙しくて改善なんかやってられない」と主張する。技術的なことはいっさいスタッフにお任せなので、ラインにはまつたく能力がないようにみえる。lE活動の結果、ラインの時間的余裕は取られてしまう傾向にあるので、ラインにやらせて育てるという考えが起こってこない。その結果、両者のギャップは広がる一方となる。アメリカを初めとして、多くの西洋諸国のIEはこの段階でとどまっている。

チーム型: スタッフ主導型の欠点を補うために考え出されたタイプで、スタッフとラインの間のコンフリクトを最小にするため、改善案の実施へのラインの積極性を高めるため、改善案の質を高めるために採用される。ライン業務の効率向上のための改善活動をラインとスタッフが協力し合って行う責任を持つ。多くの場合、プロジェクト・チームを結成して改善活動を行う。改善案の開発・実施のすべての過程においてスタッフとラインは協同責任を負う。チームの最高責任者はラインのマネジャーがなる場合が多い。QCサークルなどの小集団活動もこの分類に入る。一見自主的な活動に見えるが、これはスタッフが作った大きなフレームワークの範囲内でラインに自主性が認められた活動である。

このタイプはスタッフとラインが身勝手な言い分を通すということを予防できるが、自発的な努力を引き出せるとは限らない。時としては、スタッフがラインの協力を引き出すための「舞台装置」として利用することすらある。この場合は必要な作業をすべてスタッフがやってしまい、ラインが表舞台で発表するといった形式がとられる。また、参加部門が多くリーダーシップがないプロジェクトでは、参加者がそれぞれの部門の利益代表となってしまい、収拾がつかなくなってしまう。

この段階を経験してゆくうちに、一般のlE知識の普及度も高まり、ラインとスタッフの間の知的レベルの差も徐々に縮まってくる。いやいやながら参加してゆくうちに、改善活動の価値、やり方のコツ、楽しさを覚える人間が増えてくると、ラインが積極的になる。時には、問題と日ごろ身近に接していないスタッフよリラインの方がよい答えをだすこともでてくる。だからといって、ラインが積極的に主導権をとるかといえば、そうでもない。それはラインに与えられる自由度と余裕で決まってしまう。

4.提案する理想の型
以上の3つのタイプを検討した結果、私はスタッフ主導型には欠点がありすぎるし、チーム型も究極のものではないと考えた。「問題には所有者がおり、所有者には問題の所有権がある」という私の考え方からすれば、最終的には、問題の所有権がないものが(他人の)問題を解くことはできないはずだと確信するにいたって、より人間性を重視した、実情を反映したタイプとして、以下に示すライン中心型を1980年代に提案するに至つた。  ライン中心型:ラインのすべてのメンバーが自らの努力と責任によって改善活動を行う。そのための資源的・時間的・成果的余裕を持つことはラインの当然の権利である。スタッフはラインからの要請のある場合のみ、必要な助言、助力または知識を提供する。さらにスタッフはラインに対して、手法やアプローチの提供および教育・訓練に関する支援を行う責任を持つ。スタッフは時間的余裕を作って研究開発およびマネジメントから要求される戦略的問題の検討にできる限り専念する。改善がワン・ショット志向ではなくオン・ゴーイングな形で行われることを風土とする。実証研究の結果確認された、ライン中心型が成立するための必要条件とそれらに対するコメントを以下にまとめる。

1)生産性向上責任はラインにあり、スタッフにはないことをラインが認めること。
特定のラインが改善意欲を持たず、何もしなくても、スタッフは見殺しにしてかまわないということである。スタッフの責任問題はラインの援助要求に応えられなかった場合に発生する。ここにスタッフが常に能力向上を心がけ研究開発を志す必要が生まれる。全社的にライン中心型の改善活動を採用する会社では、人を雇った時から、採用した理由の半分は改善活動を当然の責任として働くことにあることを明確にすべきであり、また「スタッフの究極の使命は自分の必要性を無くすように行動することである」という行動原理を徹底すべきである。

2)改善活動のための能力と余裕をラインが持つこと。
自主的な改善のためには時間、能力、お金、行動、失敗の自由度が必要である。とりわけ、時間がなければ何もできない。余裕は1回持つだけで(金持ちサイクルに入ることで)永久に持つことになる。とりわけ、時間的余裕の持ち方はいろいろあり、改善効果を半年は取り上げないといったやり方もあり、改善で浮かせた人的余裕をライン内の改善専門担当者とする方法もあり、理論的には余裕率の中に改善余裕を見込むやり方も考えられる。従業員の教育レベルが改善の要求に応えられる高さにあることも大前提となる。

3)ライン管理者と部下が信頼によって結び付いていて、改善責任者が行動の自由度を持つこと。
信頼をもとにした関係では人のやることをいちいちチェックすることをしない。相手を信じる以上、叱咤激励はマッチしない。褒めるカルチャーがマッチする。要するに、上司は部下にものごとを任せたら細かい指示は出さないことでである。部下の能力に不安があったら、それは日頃部下の能力を育てていない自分に責任があると思うべきである。貧乏人サイクルから逃げ出す方法は「−歩一歩」しかない。しかし、その蓄積効果の大きなことも知るべきである。管理者は部下のやっていることを細かく知りたがらないことが大切である。つまり、問題解決のやり方の自由度を大幅に認めることである。そして、問題解決を流れとしてとらえるべきである。個々の問題解決を緻密に効果的にやることより、多くの人間が参加するラーニング・プロセスとしてとらえるべきである。したがって多少の間違いや非効率性には目をつむり、結果よりも過程を大切にし、最終的には人が育つことを重視すべきである。

4)ライン管理者が部下を保護して失敗の責任を負うこと。
リーダーシップとは、部下を守り、進むべき道をはつきりと示し、失敗を恐れさせないことである。褒めるカルチャーでは、結果が出てからそれを叱ったり、告げ口を奨励したりするマネジメント・スタイルは似合はない。結果が出る前に部下に必要な援助を与えるべきである。「失敗したらオレが責任をとってやる」というひと言ほど、人をやる気にさせるひと言はない。クリエイティブなアイデアは失敗を恐れないところから出てくる。もちろん、「そのようなことをしたら、組織の中は失敗だらけでめちゃくちゃになってしまう」と言う方もおられるであろうが、それは本当であろうか。人間が善意を持って、知恵をはたらかせて活動している限り、大混乱になるとは思えない。

結局、前記の4条件は組織風土(カルチャー)の評価項目のようなものである。これらの条件を満足することは、紙の上で示すようには容易ではない。徐々にでも、これらの条件が満足されていけばライン中心型は根づくであろう。言い換えれば、トップが「ライン中心型」をわざわざ提唱しなくても、これらの条件が満足されるような組織風土になれば、結果としてライン中心型組織ができ上がるであろう。それは全社的な問題解決型組織の完成を意味する。

5.ライン中心型の有効性の検証
ライン中心型の有効性を検証すべく、私が関係したいくつかの会社で20年ほど試した経験では、このタイプがこれまでのどのタイプより有利な特性を持っていることがわかった。特に、積極的にしかも徹底的にこのやり方を採用した富士ゼロックス株式会社の海老名工場での導入経過と成果について以下に要点を整理して示す。詳細については文末の文献を参照されたい。

当工場では1985年にライン中心型を正式に導入したが、それ以前に5年ほどの準備期間があった。準備期間を通じてライン中心型の考え方について十分説明をした。この方式に対するこの工場の正式な名称は「現場中心主義」(ブリヂストン久留米工場では「現場主動」)であった。組織上の形態を明確にするために、改善マトリックス組織とでもいえるものを正式に採用した。これは通常の組織の上に横断的に改善テーマ別のグループを重ねたものである。これはこの工場ではMプロ組織と呼ばれた。初めは「部品物流改善チーム」、「ライセンス(分散化生産管理システムの名称)推進チーム」、「場内物流改善チーム」、「生産外物流改善チーム」、「パソコン教育チーム」の5テーマであったが、現在では30を越えるチームがある。この組織横断的チームには改善のための予算がつき、改善活動のための時間も与えられた。参加できるのは係長以下で、課長以上になるとPTAとしてこの活動を外圧から保護する仕事が与えられた。年間予算は平均5億円程度である。現在の参加者は部課長のPTAメンバーを除いて、ライン部門全社員がいずれかの改善チームに参加している。複数チームに所属している者も多数いる。発足当時、生産技術部門は支援部隊としてメンバーに名を連ねたが、現在は、Mプロには正式メンバーとして登録されていない。Mプロチームからの正式支援要請が有った場合のみ支援する形態をとっている。すなわち、生産技術部門の多くの責任が徐々にラインに移管されてきている。

この実験の初期段階では「時間がない、能力がない」などの理由でラインからの抵抗があるかと思っていたが、その心配は不要で、圧倒的な歓迎を受けて出発した。必要に応じて、スタッフ部門がlE教育とパソコン教育を行った。この徹底ぶりは相当なものであつた。その成果の一部を述べると、

1)生産ラインは、需要変動にタイムリーに対応できるフレキシブルな生産ラインの構築を狙いに、固定設備の排除、治工具の軽量/小型化、KIT生産方式、AGVの導入を、自部門の責任でおこなった。これらの活動により、工程変更時間を大幅に短縮し、各ラインの人間だけで平日にラインを止めずに工程変更をすることが可能になった

2)工場内の物流インフラの整備を自分たちでおこなった。10年ほど前のある年には空箱回収棟、工場内物流(動脈、静脈流)コンべアライン、上下搬送コンべレータなどの投資に20億円の予算を消化した

3)生産管理システムを根本的に改め、大型計算機による集中管理をやめ、パソコンによる生産ライン毎の独立したシステムを10年かけて開発した。この開発は原則としてラインの人間が主体となり、システム部門のスタッフは陰で支援する形でスタートした。部品の発注もライン毎に直接行っている。共通部品と言う槻念はない。この活動は未だ完成することなく、営業から直接注文を受けてから生産するシステムに移行中である

4)部品だけを作っていた内作部門も、付加価値の高い生産設備や治工具の内作化に取り組み、AGVに至つては、初期の購入台数200台以降、市価の1/2〜1/3のコストで全て内作され、現在1.200台を越えるAGVが稼働している。

年間完了プロジェクトが98年で約300件にのぼった。これら多くの自主的な活動の結果、モラールサーペイの数値が1985年以来1999年まで上がり続けており、99年度の経済効果も対98年比で生産リードタイムが約1/3、総資産回転率が約1/3に改善された。生産性も毎年10%以上向上している。またスタッフ業務のラインヘの取り込みが始まり、ライン部門の機能も益々拡大し、スタッフ部門の人員削減に繋がっている。これらはライン中心型の活動の成果である。

興味深いことは、多くの見学者(98年度で2.800人)がこの成果を見学にきて、これらの成果を評価はするが、自分達の会社ではとても真似られないとコメントすることである。更に興味深いことは、同じ仕組みをこの会社の他の2工場への移植が始まるまでに10年以上待たなければならなかったことであり、更につけ加えれば、この会社でもライン中心主義の改善活動が採用されているのは生産機能に限つたことである。

1985年より今日に至る間のライン中心型の改善活動の結果判明した、このやり方の利点を以下に示す。

(1)問題解決ニ一ズの発見が早く容易である。
効率化問題の解決の責任がラインにあるので、ラインはつねに理想を持ち、その理想と現実を比較することになる。問題発見が自分の責任を果たすための仕事の大切な第一歩になる。自分が解決することを前提にして問題を見る。問題も大きく成長する前に、小さいうちに認識される。

(2)すべての問題についてつねに誰かが考えている。少数のスタッフではこれほど広範囲に手がまわらない。
現場の全員が自分の問題は自分で解決するのだという自覚を持っている場合に、認知されている問題の数は、少数の問題解決専門家が全組織について認識している問題の数とは比較にならない。問題解決のスピードがスタッフの問題処理能力に制約されることない

(3)変化に対する抵抗がない
ライン中心型のもっとも美しいところは、変化に対する抵抗がない点にある。自分が自分の考えに対して抵抗することはまれなことである。当然、スタッフの考えにラインが抵抗するというムダとは比較にならない。

(4)1つの解決策に対する継続的な調整や修正が行われ続ける
仕事をしながら、自分の問題点をいつも考えているから、−度出した解決策が永遠に有効であると考えることは、きわめて少ない。自分で実施した解決策はよく知っているノデ、小さな解決策から始めて成長させていくこともできル。作業を少しずつ機械化していって、結果を確かめながら、最終的に全自動化をしてしまった例もある。

(5)最終的には、すべての問題が考慮される。
たくさんの問題を登録しておいて同時進行的に取り組むことができる。常に問題に優先順位をつけながら、プロジェクト選択をすることができる。このことが実施されれば、問題の見落としが減る。

(6)現実的なニーズに合致する現実的な解決策が得られる。
問題解決の目標について制約条件を詳細に記述することは不可能である。自分の問題は自分がよく知っているので、解決策を実施に移しながら不具合点を修正できる。

(7)過度にカッコウをつけた、あるいは手法中心的な金のかかる投資が避けられる。
スタッフには自分が忠誠心を誓った集団(学会であったり、社内の専門家集団であったりします)がある場合がある。そこにはラインとの価値観の微妙なズレが起こる可能性が大きい。スタッフには時間がないので、どうしても仕事はやりつぱなしになる。問題の所有者には現実的な目標があり、簡単で役に立つ解決策があればそれを採用する。

(8)手段開発を隠しながらやれて、失敗が表に出ることが少ない。
仕事をしながら、複数の問題を同時進行的に処理することが可能なので、いくつかの先行投資的問題解決が可能である。思いついたアイデアをひそかに試すことができる。

(9)改善することの楽しみを味わい、しかも自信がつき人が育つ。
人間が人間らしくできることは未知の問題の解決である。ノンルーチンの問題解決は人間に生きがいと自信を与えてくれる。そして人が育つ。

(10)改善をすると作業そのものの能率も上がる。
改善をする人間にとっては、作業そのものがチャレンジングなものになり、そうでない場合に比べて能率が上がる。それは自分で決めた方法に従って自分が作業している、という自覚が責任感を持たせ、自分の方法で良い結果を出そうとするからである。

(11)作業しながらも改善が考えられ、必要に応じて1つの問題に集中できる。
作業がルーチンにスムーズに流れている時は、別のことを考えながら作業をしても間違いをしない。そうすると、作業をしながら改善を考えるという離れ業が可能になる。しかも、1つの問題に他人に邪魔されることなく、集中してとりかかることができる。

(12)問題解決の必要性や新しい方法を相手に説明する必要がない。
スタッフの仕事の重要な部分にラインに対して問題解決の必要性を説いたり、完成した解決策の実施方法について説明をするという、時間のかかる仕事がある。ライン中心型ではこれをする必要がない。

(13)ラインとスタッフの間に信頼関係が育つ。
 スタッフはラインに望まれた時のみ、その専門知識や技能によって援助するので、両者の間には信頼に基づく協力関係ができ上がる。

(14)業務プロセスが大幅に短縮される。
 問題が発生してからそれが処理されるまでの手続きが必要なく、即座にその場で処理されるために、多くのペーパー・ワークと待ち時間とコミュニケーション上のロスがなくなる。

(15)ラインとスタッフの問題解決能力が飛躍的に向上する。
組織内で処理される問題の数が飛躍的に増加るので、当然問題解決能力が向上する。スタッフヘの援助の要請も飛躍的に増加するので、スタッフも勉強するようになる。何よりも経験から学ぶ機会が増える。ここにスタッフが研究開発をしなければならない動機付けが生まれる。

6.結 論
一時期ではあるが、日本のlEはアメリカのlEに対して優位性を保ち、指導的な姿勢をもったことがあった。今もってそうであると言い切る人もいるかも知れない。しかし、アメリカも一時期の劣勢をばん回しようと努力しており、その成果もでている。日本のlEは円高の声に抗することもできず、海外への工場流出を傍観するばかりであった。ここで何かをすべきではないだろうか。日本的lEの新製品はないものだろうか。外国が「あそこまでやられたのでは叶わない」というという、何かである。日本が本来持っていて、外国が容易に真似られない強みを発揮できないだろうか。おしなべて知的レベルが高く、忠誠心の強く、勤勉な従業員の全てがlEerになったらどうだろうか。これがスタッフ主導型からライン中心型への移行の提案の基本的主旨である。急速で大量の改善の実行は少数のスタッフをかかえている外国には簡単には出来ない。経営者の理解と勇気を期待する次第である。

多くの企業でスタッフ主導の改善活動に行きづまりを感じていることも確かである。ラインの問題解決能力と意欲が高まっている割にはスタッフの能力はあまり向上していない。両者の知的ギャップは狭まる一方のように見受けられる。スタッフの能力を最も効果的に発揮できるのは、スタッフをラインのための問題解決者として活用するのではなく、援助者として、研究開発者として活用した場合である。

改善活動をラインの自主性を大切にすべきことを理論的に認めない人は少ないであろう。しかも、すでにそれらしいことを実行している会社があるかもしれない。しかし、前述の条件に合う全工場的活動をしている企業は多くないのではないかと考える。一体、この問題についての日本の実情はどうなっているのであろうか。この質問に対する回答を求めるべく調査を行ったので、次号で報告する。

この論文をまとめるに当たって、富士ゼロックス株式会社の半沢利行様に多大なご協力をいただきました。ここにお礼を申します。

参考文献
■1 RobertN.Lehrer.「20+Years of PMDP」The Coca Cola Co.Publication 1996
■2 川瀬武志、根本忠明「改善業務におけるライン・スタッフ協力形態の研究」慶応経営論集Vo1.3.No.1.1981年
■3 川瀬武志「lE問題の解決」日刊工業新聞社、308〜332ページ
■4 谷貝憲三、山口淳「富士ゼロックスにおける現場中心型生産管理システムの開発−その1、−その2」IEレビューVo1.30.No.1.No.21989
■5 金沢孝「現場中心の生産管理システムーLICENSの提案」日刊工業新聞
■6 土屋元彦、春山武史、半沢利行「もの作りの喜びを求めて-その1、その2」 IEレビューVol.36,No.5,Vol.37,No.1 1996

要旨

lE活動を組織論的な側面でとらえ、ひとつの工場あるいは企業内での改善活動を長期的に効果的に行なうためには、改善のマネジメントが必要である。このことをPerformance Excellenceという観点からとらえマネジすべき諸側面を指摘している。さらに、その一側面である「IEスタッフとラインとの協力形態」について論じ、「ライン中心型」という形態を理想的なものであると、事例を示して主張している。

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