手法の曲り角
1.IE手法の歴史初期

 1880年代に誕生したは動作時間研究に始まり、レイアウト、マテハン、ガントチャートなどの斬新な手法を用いることで、世の中に颯爽と登場しました。これらの手法が大々的に日本に導入されたのは第二次大戦に敗北した直後の1950年代で、アメリカ政府の後援を受けた日本生産性本部及び日本IE協会の努力によってのことでした。その後、その斬新さに魅惑された多くの企業によって勉強が開始されました。しかし、その導入は、その価値を認めた企業とそうでない企業との差が激しくバラバラでした。この差が今日の企業経営の成果に大きな差を生み出したことは周知の通りです。

 さて、手法の話に戻ります。1960年代から1970年代にかけては、手法が華々しく登場して、在庫管理、ラインバランシング、スケジューリングなどの数学的手法がもてはやされました。これらの新しい手法を活用したIEはモダーンなどと呼ばれて大きな期待が掛けられました。しかし、この段階ではコンピュータの性能もコストも実用的な段階に達していなかったために、期待通りの成果を上げることは出来ませんでした。この段階までの手法にはIE手法の歴史的変遷を語る上で重要な共通する特徴があります。これらは皆問題の定式化(構造を決める段階において、所与の制約条件を受け入れた上での良い答えを求めようとする最適化志向の方法であると言うことでした。このタイプの手法を制約条件容認型手法と呼ぶことにします。

2.日本で生まれたIE手法
 ところが1980年代になって、ジャストインタイム、シングル段取り(内段取り、外段取り)、カンバンシステム、一個流しなどという耳慣れない手法が世間一般に知られるようになってきました。そしてそれらはそれ以後かなりの時間を掛けましたが、世界的に受け入れられ、画期的な手法として評価されるに至ったことは皆さんもご承知でしょう。一体これらの手法は、これまでの手法とはどこが違うのでしょうか。

もう、賢明な読者の方はお分かりでしょう

 トヨタ生産方式の中心的な方法論として理解されているこれらの手法の特徴は、それまでの手法とは違う側面があります。それは所与の制約条件を素直に受け入れないという点です。これを制約条件打破型手法と呼ぶことにします。制約条件の範囲を超えた、より高い理想の実現を重視することによって、制約条件を打破しなければ欲しいものは得られないと言う精神が強い動機になっているのです。

 例えば生産計画問題において、長い段取り時間を認めてしまうと、ベストな答えは最適ロットサイズの問題を解くことになり、数学の問題を解くことになってしまいます。得られる答えは当然、段取り時間に強く影響された上、望ましくない中間在庫を持たなければならないものになります。しかし、理想は作りたい時に必要なだけ作り、いずれは一個流しを実現をしたいということであれば、制約条件に挑戦するしかありません。そしてその場合の理想は段取り時間ゼロです。この理想を求める過程でシングル段取り(一ケタ台の分で終了する段取りのやり方)を実現しようという現実的な目標が生まれてきます。

 ちなみに、これらの手法はトヨタにおいては、世間一般に知れ渡るはるか以前から活用されていました。トヨタがこれらの手法を積極的に世間に公表したのは1980年代であったことをご承知ください。その後、トヨタ製以外にも幾多の日本製のIE手法が生まれています。例えば、間締め(設備の定形的寸法の制約を無視して、最小限度のスペースで工程を繋ぐ)、セル生産(一人の作業者が覚えられる組立て部品点数の制約や習熟理論上の制約などを無視する作業方法)など、直接トヨタから生まれたものではない制約条件打破型手法が紹介されています。

3.制約条件容認型手法から制約条件打破型手法への遷移過程

 私の著書「IE問題の解決」においては、制約条件容認型の問題を管理問題、制約条件打破型の問題を改善問題と呼んでおります。一般に馴染みやすいと考えこのような名称にしました。本稿では、より厳密に定義するために上記のような名称を用いておりますが、両者は同じものだとご理解ください。

 IEの歴史が浅い時期は、既に先行し産業界に定着していた他の分野の専門家によって決定されていた製品設計、使用設備、建物などをうまく使いこなすことが主目的であったので、活動の関心は専ら人間にあり、それを取り巻く諸条件は制約条件として受入らるのが当然でありました。工場社会の当初の実情はjourney man(渡り職人と呼ばれる一匹狼を相手に、作業方法の統一や標準時間の設定などが未解決の問題でありました。そのため学問的にも、他の自然科学分野の方法論に比べれば怪しげなものとして受け取られていました。従って、研究テーマとしては基礎的な動作研究や要素動作の時間設定あたりが学問として受け入れられたが数学の入り込む余地はありませんでした。

 日本へのIEの導入が始まったころ聞いた話ですが、本田宗一郎氏が工程を見て回っていた時に、タイムスタディーをしているIErに出会って、「君は何してるのだ」と聞いたそうです。エンジニアは誇らしげに「このラインはバランスが悪いので、作業配分を変えるために作業の時間を分析しているのです」と答えましたら、「ライン・バランスが悪いなら、悪くしている作業を改善すれば良いじゃないか」と言われたそうです。この話を聞いた当時の人々は、本田宗一郎という人はなんと言う無茶苦茶なことを言う分からず屋なのかといって、笑い話の種にしたそうです。私も同感であったのを覚えています。修行が足らなかった自分を恥ずかしく思います。当時のIEといえば制約条件容認型手法の適用が当たり前でした。

 前述しましたが、60年代に入って、ORの手法が計画管理分野に入り込んできて、スケジューリング、ラインバランス、在庫管理、システマティック・レイアウトなどの数学を基にした考えで、それまで図表的な分析手法しか持たなかった伝統的の考え方に活を入れました。特に学者に取っては願ってもない理論的課題でありました。どうしても自然科学の分野から同等に扱われるためには共通言語である数学で語りかける必要がありました。しかし、これらは良く考えてみれば、制約条件容認型であって数学的思考の範囲では美しいかもしれませんが、画期的な答えは得られなかったことも事実でありました。たとえば、方法論として画期的であった最適化問題というものは、実用的には当たり前な範囲での答えを探すだけで、激烈な生存競争をしている産業界が真に求めていたものは、制約の範囲を越える解決策でありました。

4.制約条件打破型思考が生まれる動機
 制約条件には面白い性質があります。それは、初期の分析段階で制約条件が自分の方から名のり出てくるものと、隠れていて改善が実行段階になってから名のり出てくるものとがあります。

 前者は多くの場合、問題を定義している段階で必ず誰かが教えてくれます。教えてくれるのは大概現場担当者で、現場を良く知っている人達からで、改善案に対する「出来ない」理由として出てきます。「それは前にやったが駄目だった」と言われて確認すると、それはもう制約になっていなかったりもします。あるいは、その制約は昔自分が作ったものであったりもします。

 後者の例としては、設備改善を終えてしまってから、材料の形状にわずかな変更がされていたことが判明して、それが分かっていればもっとよい改善がでたのにと悔やんだり、改善活動も終わりにちかづいてから、周辺のスペースに使用制限があると知らされたりすることがあります。制約には故事来歴があります。広い視野で、自分で見て確かめる必要があります。場合によっては、視野を社外にまで広げて確認する必要もあります。とにかく、人の言うことは信じないようにすることが大切です。

 制約が超えられないものであると思いたい人と、制約は必ず超えられると思う人がいます。制約は人の心の中に住み着いて居ると見るべきでしょう。自分の権限の範囲で問題の範囲に固執してしまい勝ちです。制約がある方が自分は何もしなくてよいので喜ぶ人もいます。以下に、改善活動における制約打破の考えは一体どのようにして生まれてくるのだろうかに付いて考察します。

 a.自然発生型) IE活動が誕生間際は身の回りの問題から手を付けました。IE部門の相対的地位も低く、固有技術の発言力が高かったために、IEが対象とできた現場の作業者のでした。その人達からできるだけの労働力を引き出そうとして、作業方法と作業時間を詳細に分析することによって、所謂標準化が計られました。決められた方法を守らせ、決められた時間でを達成させました。使用する機械、設備、原料、入れ物、運搬、生産管理などは制約条件にとして当然のものとして受け入れられました。しかし、改善によって解決される問題が広がり、それ以前には制約として思っていたものの正当性を疑うようになってきました。つまり、改善活動の量的、質的拡大の結果、問題の範囲が広がり、周りの人の認識、評価も高まり、多管理活動の影響力も広がって行き、自然に改善対象の範囲を広げてテーマを探すことになります。IE活動の企業への貢献度も認められてくるし、社内での力関係も強くなるのでこれまで挑戦できなかった分野に改善を範囲を広がって行くと、制約条件を打破することが当然の仕事となってゆくのです。

 b.環境追従型) 簡単に言えば物まねをすることです。実はこの世の中こういう会社が多いのです。自分で自発的改善努力をしないで流行りものに飛びつくのです。従って根本原理や必要条件を深く吟味せずに形だけ真似ることが多く、成功は難しいものになります。打破すべき制約条件を気軽に考えて大失敗になることもあります。しかし、真似をしながらうまく行く場合もあります。世間の成功例からインパクトを感じたり、競争相手の成功に強迫観念を持ったり、噂を鵜のみして大成功してしまうこともあります。手法の有効性に関する世間評判にうまく乗って、制約条件打破に反対する人々に「そんなことを言ってるから、わが社は時流に乗れないのだ」と押し切ることもあります。何もしないよりも、うまく真似るのも手かもしれません。

 c. 思い込み指摘され型) 特定の手法や知識や業界の常識にこだわっている場合に、制約条件の存在が都合よくなってしまって、自分の立場を守るための盾となる場合があります。それが時代遅れな考えであったりすると、最後には外部の人から指摘されることがあります。コンサルタントの重要な役割のひとつは、意外にこの辺にあるのかも知れません。

 d. 苦境脱出型) 企業がやむを得ない強い要求によって、制約を認めていられないような状況に陥ることがあります。その状況を自助努力によって打開しなければならない時は、高い改善成果を上げなければなりません。このような場合は目的のためには手段を選んではいられません。そのような過程で講じた手段が、新しい手法の誕生となくことは容易に想像できます。

 ことの真偽を厳密に確かめたわけではありませんが、ある時私はトヨタ自動車の上層部の方に、トヨタシステムが生まれた契機をお尋ねしたことがあります。彼によりますと、昔のトヨタは自動車メーカーの中でも小さく、経営的にも苦しい状況にあったので、少ない資金を有効に使わなければならなかったそうです。実例の一端をご紹介しますと、一台の車を売り上げたお金を次の1台分の部品の購買に使うと言った状況から、まとめ作りをしたくても出来ない状況にあり、その中から1個作りの思想が生まれたのだそうです。そのような苦しい経営環境が、常識的な経営方法に依存するのではなく、制約条件を打ち破るのが生きる道であり続けたことが、トヨタ精神と言うバックボーンが生まれたのだと聞かされました。

 その方は極めて謙虚な方であっために、相当謙遜して話されたのは理解出来ましたが、お話の中に一端の真理があるような気がしました。

 e. 社風・伝統型)いずれのきっかけから改善指向性の強い企業風土ができあがるか分かりませんが、それが一旦組織内の各構成員の血となり肉となって定着することがあります。トヨタを筆頭に我が国の多くの企業がこのカテゴリーに当てはまります。これらの企業がIEの伝統を打ち立て、我が国IEのリーダーシップを取っております。これらの成熟した企業に共通している傾向は、問題解決において制約条件容認型も制約条件打破型もありますが、制約条件に圧倒されることなく、制約条件を打破することこそが、経営問題を大きな視点で捉え、クリエイティブな経営活動を可能にするのだと言うことを理解しているのです。

 f. 新技術導入型) 時として新しい技術を他企業に先駆けて導入することによって、制約条件を打破出来ることがあります。問題解決は現実を理解することから始まります。物事を理解する単には現場現物を良く観察します。事実は目から入ってきます。目は情報の動き、早く動くもの、小さいものは見えません。これらを可能にする道具、例えばコンピュータ、ビデオカメラ、高速ビデオカメラ、動作解析(モーションキャプチャー)システムなどIErの目の働きを助けます。これからのIErは新しく生まれてくる各種測定具、IT機器を使いこなさなければなりません。

 g. 理想追求型) 理想に向かって改善をしてゆこうとするアプローチは、攻撃すべき制約条件が見付けやすくするし、制約を打破しようとする勇気を沸かせてくれます。現状は多くの制約条件で囲まれています。その内側から取り囲む諸制約条件を眺めると、あまりの多さに圧倒されて、どの制約を打破すべきか決められなくなってしまいます。ところが、究極の理想(すなわち意識の中からあらゆる制約を一時的に消し去ってから、自分が本当にありたいと願っている状況を明確にしたもの)から現状を眺めたとします。そうすれば、諸制約条件を外側から見ることになります。その結果、どの制約条件を打破すれば理想に近づきやすいかが容易に分かります。つまり、現在から未来を見るのではなく、未来から現在を見ると現在と未来を隔てている障害が見付けやすくなります。

5. 結び
これだけ、多くの人々がトヨタシステムに飛びついていながら、その精神を学ぼうとせずに方法論だけをとりいれようとしている人々が多いのには驚かされます。
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